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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)2376号 判決

原告 甲野太郎

原告 甲野咲子

右法定代理人親権者 甲野太郎

原告両名訴訟代理人弁護士 吉田正文

被告 宝積己矩子

被告 三重県

右代表者知事 田川亮三

右指定代理人三重県技術吏員 井上正吾

〈ほか三名〉

被告両名訴訟代理人弁護士 吉住慶之助

被告両名訴訟復代理人弁護士 吉田信百

主文

原告等の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告等

(一)  被告等は各自原告太郎に対し五四二万二三二八円およびこれに対する昭和四七年六月六日より完済まで年五分の割合による金員を、原告咲子に対し七七五万九二九六円およびこれに対する同日より完済まで同率の金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告等の負担とする。との判決ならびに仮執行の宣言

2  被告等

主文と同旨の判決

二  請求原因

1  原告太郎は甲野花子の夫、原告咲子は両者の子(昭和三七年一一月一日生)である。

被告三重県は津市高茶屋小森町二二二五番地の一に、精神障害者の医療と保護を目的とする三重県立高茶屋病院(以下高茶屋病院または病院という)を設置して、これを管理しており、被告宝積は医師で、被告三重県に雇われて高茶屋病院に勤務し、病院に入院した花子の医療と保護を担当していたものである。

2  花子は昭和四四年六月頃から抑うつ、幻聴、妄想等の精神障害にかかり、二、三の精神病院に入院して治療を受け、昭和四七年三月九日高茶屋病院に入院したが、同月三〇日病院を抜けだし、同年四月一二日三重県津市雲出川沖で溺死体となって発見された。

3  花子の溺死が自殺によるものか否かは不明であるが、その死亡は、次のような、高茶屋病院の施設の管理の瑕疵および被告宝積等病院被用者の措置の誤りに基因するものである。

(一)  病院施設の管理の瑕疵

高茶屋病院には、患者を収容する施設として、開放病棟と閉鎖病棟があり、花子は開放病棟に収容されていた。

精神病院において開放病棟を設けている場合には、そこに収容されている患者が勝手に病院施設の外に抜けだせないような設備をしておくことが、患者の生命、身体に対する危害を避けるために必要であるのに、高茶屋病院では、東出入口の扉が破損し開放されているなど、その設備が不完全であった。かかる瑕疵がなかったならば、花子は病院から抜けだすこともなく、死亡することもなかったはずである。

(二)  病院被用者の措置の誤り

(1) 花子は、これまで入院した精神病院ではいずれも閉鎖病棟に収容されており、その精神障害の程度からみて、閉鎖病棟に収容するのが適当であった。ところが、高茶屋病院では、担当医師の被告宝積が花子の精神障害の程度についての診断を誤り、昭和四七年三月九日その入院と同時に同女を開放病棟に収容した。

しかも、花子は同月二六日頃から時計、財布、原告咲子の写真等身の廻りの品を整理して病院の管理室に預けたり、よく泣いたりするなど、異常で不安定な精神状態を示していたから、おそくともこの時期には、花子を閉鎖病棟に収容すべきであった。しかるに、被告宝積はこれを怠り、花子を開放病棟に収容したままにしていた。

花子を閉鎖病棟に収容していれば、同女の死亡はなかったはずである。

(2) 花子を開放病棟に収容しておくならば、同女が(1)のような不安定な精神状態を示した場合、被告宝積その他看護婦、看護人等病院職員は花子の動静を注視し、同女が勝手に病院施設から抜けだすことのないように注意すべきであるのに、これを怠った。病院職員がこの点を注意していれば、花子は病院施設から抜けだすこともなく、したがって死亡事故も起こらなかったであろう。

(3) 精神病院では、患者が勝手に離院していないかどうかを常に注意し、その離院が判明したときは直ちに所在を十分に捜索することが、患者の生命、身体の危険を避けるために要請される。ところが、被告宝積等病院被用者は、花子が同年三月三〇日朝病院施設から抜けだしてからかなりの時間これに気付かず、他の患者の報告によってこれを知ってからもなおざりな捜索しかせず、警察署に対する捜索願の提出も甚だしく遅れた。病院職員が早期に花子の離院を知り、十分な捜索をしていたならば、病院と花子が水死した雲出川との間はかなりの距離があるから、おそらく花子を無事に連れ戻すことができ、その死をみることはなかったであろう。

4  花子の死亡による損害は、次のとおりである。

(一)  花子の損害

(1) 花子は昭和四年九月四日生れで、死亡当時満四二才であり、厚生省の生命表によると、四二才の女子の平均余命は三五・三一年であり、その就労可能年数は二一年である。花子は和裁洋裁の特技があり、入院前は一ヶ月四万円の収入を得ており、生活費はその三割であった。したがって、二一年間の逸失利益の死亡当時の価額は、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、その係数は一四・一〇四であるから、四七三万八九四四円となる。

(2) 花子は死亡する際に苦痛を受けたが、その慰藉料は三九〇万円が相当である。

(3) 花子の(1)(2)の損害賠償請求権を、原告太郎が三分の一、原告咲子が三分の二の割合で、相続により取得した。

(二)  原告太郎の損害

(1) 原告太郎は妻である花子の死亡により精神的苦痛を受けたが、その慰藉料は二〇〇万円が相当である。

(2) 原告太郎は花子の死亡に関して、葬儀費二七万二七二〇円および雑費二六万九九六〇円を支出した。

(三)  原告咲子の損害

原告咲子は母である花子の死亡により精神的苦痛を受けたが、その慰藉料は二〇〇万円が相当である。

5  したがって、被告宝積は民法第七〇九条に基き、被告三重県は同法第七一五条第七一七条、国家賠償法第二条に基き、各自原告太郎に対し五四二万二三二八円、原告咲子に対し七七五万九二九六円を支払う義務がある。

よって原告等は被告等に対し右金員およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四七年六月六日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告等の答弁と主張

1  請求原因12は認める。

同3の冒頭の事実のうち、花子の死亡が自殺によるものか否か不明であることは認め、その余は否認する。

同3の(一)のうち、高茶屋病院に開放病棟と閉鎖病棟があり、花子が前者に収容されていたことは認めるが、その余は否認する。

同3の(二)の(1)ないし(3)および4は争う。

2  高茶屋病院は精神障害者に対して科学的で適切な診療を行うことを目的とする施設であり、開放病棟を設けたのも右目的に出たものであって、開放病棟に収容されている患者が病院施設を自由に出入りすることができるようにしてあるのは、開放療法の思想に基くものであり、病院施設の管理の瑕疵といわれる理由はない。

3  高茶屋病院では昭和四七年二月一二日初めて花子を診察したが、入院させなければならないほどの病状ではなかったので、通院させて様子を観察することとし、その旨を花子に告げて通院するよう指示したのに、同女は一度も治療を受けにこなかった。その後同年三月九日花子は原告太郎とともに来院し、原告太郎は大阪に転勤となり家庭では花子の世話をしかねるので同女を入院させたい旨強く希望し、花子も原告太郎と同居するのをいやがる態度をみせ、入院を望んだため、花子を診察した稲地医師は同女を入院させることにしたが、花子等が語った病歴、診断所見、殊に希死念慮についての問診に花子が強くこれを否定し、自殺のおそれが全くないと認められたことなどから、開放病棟に収容するのを相当と判断し、花子および原告太郎もこれに同意した。かくして、花子は開放病棟に収容され、治療を受けるに至ったのであり、その後も同女には自殺するおそれは認められなかった。

そして、花子は同年三月三〇日午前九時頃離院したものと推定されるが、病院職員は同日午前九時三〇分ないし四〇分にこれを知り、直ちに手分けして心当りの場所を捜すとともに、原告太郎の勤務先、花子および原告太郎の実家に電話で連絡し、午後一時五〇分警察署に花子の捜索願を提出し、翌三一日には公開捜査を提案したのに原告太郎が拒否したのでこれは実行されなかったけれども、その後も死体発見に至るまで長期にわたって捜索を続けたのである。

したがって被告宝積等職員に非難される点はない。

4  花子の死後病院職員に判明したところでは、原告太郎はもと陸軍憲兵で粗暴な振舞が多く、花子は原告太郎を畏怖し、またその女性関係について悩み、原告太郎から冷酷に扱われ、離婚するよう迫られてノイローゼになり、逃避の場所として高茶屋病院への入院を希望したのであった。もし花子の死が自殺であるとすれば、それは純粋に病的な原因に基くものではなく、被告宝積等医療担当者には知られていなかった夫婦間、家庭内の問題が直接の原因であり、その問題が花子自身も予期していなかったほどに悪化したか、解決への希望が絶望視されるような事態が生じたために、自殺の途を選んだものと思われる。したがって、花子の死亡と原告等主張の病院施設の管理の瑕疵、病院職員の措置との間に因果関係はない。

5  花子は高茶屋病院に入院中、被告宝積、担当看護婦等に外出、離退院等について相談し、適切な措置を求める能力を有していたのに、これをなさず、故意に右病院職員の隙を窺って無断離院し、また原告太郎は花子の保護義務者であって、同女の既往症歴、生活歴、家庭問題等精神衛生医療上必要な事実を担当医師に告げ、積極的に医師、看護婦等に協力して、花子の治療に努めなければならないのに、同女の既往症歴、殊にかつて閉鎖病棟に収容されていたことなどを秘匿し、花子の外泊を再三被告宝積に要求するなど、その医療に非協力であった。

したがって、仮に被告等が不法行為責任を負うとすれば、その損害賠償額の算定について、花子およびその保護義務者である原告太郎の右過失が斟酌されるべきである。

四  立証≪省略≫

理由

一  請求原因12の事実および花子の死亡が自殺によるものか否か不明であることは、当事者間に争いがない。

二  まず、病院施設の管理の瑕疵について判断する。

高茶屋病院には患者を収容する施設として閉鎖病棟と開放病棟があること、花子が開放病棟に収容されていたことは当事者間に争いがなく、同女は、後に認定する事実によると、昭和四七年三月三〇日午前九時頃から九時四〇分頃までの間にその開放病棟から病院の敷地外にでたものと推認される。

そして≪証拠省略≫によれば、閉鎖病棟は常に施錠されている(これには、病棟内の各病室も施錠されているものと、そうでないものとがある)が、開放病棟は夜間のみ施錠され、起床時から就寝時までは出入口の扉に錠をかけない(三月頃についていえば、午後七時頃施錠し、午前六時頃解錠する)こと、病院の敷地は周囲を生垣でかこまれているが、数個所ある出入口は昼夜を問わず開放されていること、したがって開放病棟に収容されている患者は、抜けだそうと思えば、三月ならば午前六時頃から午後七時頃までの間は、自由に病院の敷地外にでられる状態であったことが認められる。

したがって、花子が病院からでていった時刻には、病院施設は患者にとって開放された状態になっていたのであるが、何故そのような状態にしてあるのか、その理由について検討する。≪証拠省略≫によれば、高茶屋病院は田園地帯の高台に在る約二万坪の敷地に十数棟の病棟、作業場、運動場その他の施設をもつ精神病院であり、ふるくはほとんどが閉鎖病棟であって、一部の病棟において軽症の患者が自由に外にでられる仕組になっていたにとどまったが、昭和三四年頃から、当時すでに欧米において広く行われていた開放療法を組織的にとりいれるべく、開放病棟が漸次設置され、昭和四七年当時には、患者のうち約四割が開放病棟に収容され、約三割が閉鎖病棟、残りが半閉鎖病棟(患者の散歩時間だけ施錠を解いてある)に収容されており、収容患者一人当りの建物面積、看護人数等は全国公私立精神病院の中で上位にあったこと、その開放病棟の状況を花子の収容されていた第一一病棟についてみると、患者が起居する病室のほか、食堂、娯楽室、作業場等を兼ねるデイルーム、看護婦詰所、診療室、当直室等があって、病室からはガラス戸を開ければテラスを経て中庭にでられるようになっており、昼間は、患者のうちある者は津市内にある民間の工場等へ作業にでかけ、ある者はデイルームで軽作業を行うが、病院側では患者を監視することなく、特段の事情のない限り、患者に身体の調子を尋ねたり、薬剤を投与する際、あるいは患者の参加するラジオ体操、コーラス等の機会を利用して、ほぼ一時間毎に、その所在を確認するにとどめ、注視されているという意識を患者になるべく持たせないように努め、患者は随時病棟から中庭にでたり、さらに病院の周辺を散歩していること、精神障害者の治療は患者を社会に適応しうる状態にすることを目的とするから、狭義の精神症状の改善に努めるだけでなく、生活態度、対人関係、道徳観念等の指導訓練が必要であり、自身を傷けたり他人に害を及ぼすおそれのある精神障害者についてはこれを隔離監禁して保護するほかないとしても、そのようなおそれのない精神障害者については、右のような治療は、精神病院での生活還境を一般社会からかけ離れた特殊な状態にすることをできるだけ避け、実社会の雰囲気に近い状況において行うのが適当であるとする見解があり、これがいわゆる開放療法の基本的な考え方であって、精神医学界において広く支持されており、この見解によれば、病院の出入口の扉を閉め、或いは監視所を設けて、入院患者の出入を検問監視することは、自主的に行動しなければならない実社会と病院生活との間に著しい齟齬をきたし、患者の社会復帰を困難にするということになることが認められ、右認定を覆えす証拠はない。そうすると、高茶屋病院において、開放病棟に収容された患者が昼間自由に外にでてゆける状態になっていて、その出入を阻止する設備を設けていないのは、患者の治療上それを適当とするからにほかならない。

以上によれば、高茶屋病院において患者が外にでてゆくことを防ぐ設備を設けていないことをもって、直ちに原告等主張のごとく病院施設の管理の瑕疵ということはできず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない(なお原告等は病院の敷地と外部との出入口の扉が破損していた点を瑕疵として指摘するが、その出入口は開放されていたのであるから、開放されていたことの是非を検討すれば足り、扉の破損の点は本件において取上げる必要がない)。

三  次に、被告宝積等病院被用者の措置の誤りについて判断する。

1  ≪証拠省略≫によれば、花子は昭和四七年二月一二日母および原告太郎とともに高茶屋病院にきて、入院を希望したが、満床のため入院できず、通院するよう指示され、同年三月九日再び原告太郎とともに来院して強く入院を希望し、病院勤務の医師稲地聖一は診察の結果開放病棟に入院させるのを適当と判断し、即日第一一病棟(女子開放病棟)に収容したこと、被告宝積は花子の主治医となり、翌一〇日同女を診察したが、開放病棟に収容するのが適当であると診断したこと、両医師が開放病棟に収容するのを相当とした理由は、診察の結果、花子は精神衰弱ないし精神分裂病と診断されるが、自己が病気であることを知り、その病状を客観的に眺めることができ、かつ、治療を受けて正常に戻ることを積極的に希望していて、自身および他人を傷けるおそれがないとみられたことによるものであることが認められる。そして、右のように両医師が花子を開放病棟に収容するのを相当であると診断したことが、誤りであったことを認めるに足りる証拠はない。

原告等は、花子がこれまでに他の精神病院で閉鎖病棟に収容されており、その症状の程度からみて、開放病棟に収容したのは処遇上の誤りであったと主張する。なるほど、≪証拠省略≫によると、花子は昭和四四年六月頃から浅香山病院の閉鎖病棟に収容されて治療を受け、三ヶ月位で治癒して家庭に帰り、その後格別の異状がなかったこと、昭和四六年末になって花子は原告太郎に愛人があるといって責めるなど急に異状な言動を示し、翌四七年一月に一日だけ三重県立志摩病院に、同年二月一五日から三月五日まで国立療養所榊原病院に入院し、閉鎖病棟に収容されていたことが認められる。しかし、≪証拠省略≫によれば、三重大学医学部教授で精神神経科学を専攻する鳩谷龍は、同年二月下旬右榊原病院(同病院は開放病棟の収容能力が少い)から花子の診断を求められて同女を診察したが、その際、同女が無気力で表情に乏しく、周囲の人を猜疑し、被害念慮、幻覚、妄想をもつなど精神分裂病的症状を呈するものの、自ら病状を語るなど自己の異常性について病感をもち、多少の内省能力を残しており、真正の分裂病ではなくて一過性の精神病であって、閉鎖病棟に収容しなければならない患者とは判断しなかったことが認められ、原告等の前記主張は肯認しがたい。

2  ≪証拠省略≫によれば、花子は高茶屋病院入院後不眠を訴え、睡眠薬を与えられていたが、次第に元気になっていくようにみえ、原告太郎等家族の希望により、同年三月一八日から自宅に帰って二泊し、その際には別段異常な言動はなかったこと、帰院後花子は母その他の家族と何回か電話で話をしたが、同月二八日には子供(原告咲子)の泣き声が聞こえるといって泣き、翌二九日にも子供を連れ戻したいといって泣き、看護婦矢田静子に明確な理由も告げないで一〇〇〇円札一枚を渡し(なお家族からの申出で同年四月一日から二泊三日の外泊が担当医により許可された旨花子に告げられた)、翌三〇日には午前四時二〇分頃いずれかへ電話をかけようとし、午前五時頃右看護婦に対して病室を第六病棟(半閉鎖病棟)に変えてほしい旨申しで、右看護婦が朝になれば診察を受けられるよう医師に連絡しておくからそれまで待ち、受診の際医師に右希望を述べるよう指示したところ、花子はこれを了承し、少くとも午前九時頃までは第一一病棟内にいたが、被告宝積が急を要する一患者の診療を終えた後花子を診察すべく右診療中、午前九時四〇分頃病棟内に同女の姿がみえないことに看護婦が気付いた(なお同日朝花子は衣類等をきちんと整頓したが、それは同女が入院以来常にしていたことである)ことが認められる。右事実によると、花子は同年三月二八日から三〇日にかけ不安定な精神状態にあったといえるが、このことから直ちに花子に自殺のおそれがあったとはみられないし、他に当時同女の希死念慮を推測させる事情が存したことを認めるに足りる証拠もないのであって、同女を閉鎖病棟に移さなければならない情況にあったとはいいがたい。したがって、被告宝積等が花子を閉鎖病棟に移さなかったことが、治療担当者としての措置を誤ったものと断ずることはできない。

また、精神病院に収容されている患者が精神障害者であることに鑑みると、一般に、その治療を担当する医師、看護者等は、患者の動静に注意して、死亡事故が発生することのないよう配慮する義務があるというべきである。しかし、その必要とする注意配慮の程度、方法等は患者の症状、挙動等によって異なるのが当然であり、前叙のごとく、花子は精神の異常について病感をもち、積極的に治療を希望して入院していたものであり、離院当日、矢田看護婦は花子の数日来の言動から医師の診断を受けさせるのが適当であると判断して、診察を受けるよう同女に指示し、同女もこれを了承していたのであって、自殺をするおそれがみられたのでもないから、同女が病院からでてゆかないよう看護者等が常時注視していなければならなかったものとはいいがたく、また患者に対する前記治療方針からすれば、そのような注視は必ずしも適当ではないわけであり、花子が被告宝積の診察を受ける直前、看護者等の気付かない数十分間に、病院から外にでていったことをとらえて、患者の動静に対する注意を怠ったものとし、看護者等病院職員を責めるのは相当でない。

3  ≪証拠省略≫によれば、高茶屋病院では、患者が無断で病棟から姿を消した場合、病院周辺を逍遙していたり、自宅に帰っていることが往々あったので、同年三月三〇日午前九時四〇分頃花子の姿が第一一病棟内にみえないことに気付くや、直ちに病院職員が手分けして病院の内外を捜し、国鉄高茶屋駅付近も捜したが見付からず、原告太郎の勤務先に電話をかけたが連絡がとれず、花子および原告太郎の実家に花子が離院した旨を連絡したが同女が実家に帰った様子も窺えないので、午後一時五〇分頃津警察署にその捜索を依頼し、午後も病院職員が自動車を用いて引続き諸所を捜し、翌日以降も同女が溺死体となって発見されるまで捜索を続けたことが認められる。

原告等主張のように、病院職員の花子についての捜索が遅れ不十分であったこと、そのために花子が死亡したものであることは、これを認めるに足りる証拠がない。

四  そうすると、原告等の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川恭 裁判官 鴨井孝之 裁判官大谷禎男は差支えにつき署名捺印できない。裁判長裁判官 石川恭)

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